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東京高等裁判所 昭和51年(行ス)3号 決定

抗告人 横浜入国管理事務所主任審査官

訴訟代理人 山田巌 房村精一 荒木文明 ほか三名

相手方 朴可坤

主文

1  原決定主文第一項を取り消す。

2  本件申立中、抗告人が相手方に対し昭和五〇年一二月二日付で発した外国人退去強制令書に基づく送還の執行停止を求める部分を却下する。

3  申立費用及び抗告費用は相手方の負担とする。

理由

一  抗告人指定代理人は、主文同旨の裁判を求めた。その抗告の理由は別紙抗告理由記載のとおりである。

二  よつて審究するに、本件記録に徴すれば、次の事実を一応認めることができ、この認定を動かすに足りる疎明はない。

1  相手方は本籍地である朝鮮全羅南道長興郡安良面海倉里六五七番地において昭和二三年二月二八日出生し、本籍地所在の小学校・中学校等を卒業した後昭和四二年六月ころから釜山市に移り住み、人夫として稼働していたところ、アメリカ、カナダ等の外国に密航しようと考えて、たまたま釜山港に寄港した英国船「ベンロイヤル号」に無断で乗船して潜伏し、昭和四二年七月一七日同船の出航とともに韓国を出国した。

そうして、右船舶が同月一九日横浜港外に停泊した際未明に乗じて同船から脱出し、同港本牧海岸に上陸し、不法にわが国に入国した。

2  相手方は右不法入国後横浜市内の大衆食堂、工場、東京都内の電気通信工事を営む会社等で働き、その後昭和四九年一〇月ころ友人の羽田明国(日本人)とともに、羽田の全額出資のもとに電話工事下請業を開業して現在に及んだ。

3  その間に相手方は小平とも子(日本人)と知りあい、昭和四八年一二月ころから東京都品川区大井五丁目二五番九号所在のアパートで同棲し、両名間に長女小平洋子(昭和五〇年五月一一日生)をもうけた。

4  ところで相手方は、昭和五〇年四月一六日横浜入国管理事務所入国警備官に不法入国の事実を申告したので、同庁において事実調査を行つたところ相手方の前記1掲記の不法入国の事実が明白となつたが、その間に相手方は申立外伊藤明とともに同年五月二七日夜横浜市保土ケ谷区和田町二五四番地附近路上において銭湯から帰宅途中のA女(昭和三四年生)に対し強制猥せつ行為をし、同女に傷害を負わせ、これにより横浜地方裁判所に起訴された結果同年一〇月六日同裁判所から懲役三年、執行猶予三年の判決の言渡を受けた。

5  他方、横浜入国管理事務所入国審査官は相手方について審査を行つた結果同年一〇月二〇日相手方が出入国管理令第二四条一号に該当する旨認定し、更に相手方の請求により同庁特別審理官が口頭審理を行つた結果同年一一月七日入国審査官の認定に誤りがない旨を判定した。相手方は同日この判定につき法務大臣に異議の申出をしたが、同月二六日同大臣は右異議の申出は理由がない旨の裁決をし、ついで同年一二月二日相手方に対し本件退去強制令書が発せられ、この令書に基づき相手方は大村入国者収容所に収容された。

6  本件退去強制令書に基づく相手方の送還は相手方の本国(韓国)においてもこれを承認したので、相手方は既に送還者名簿に登載されている。

7  相手方と前記小平とも子との事実上の婚姻はとも子の両親において承諾するところでなく、適式の婚姻の届出もなされないままであつて、とも子は相手方との同棲中精神分裂病にかかり、現在その行方が行れないでいる。右両名間に出生した前記洋子は、とも子の両親の委託により児童福祉施設婦人クラブ乳児院に在園し、ここで養育されている。

三  右認定事実全般に基づき総合判断するに、相手方が本件退去強制処分を受け、その執行として強制送還をされてもやむを得ないといわなければならない。

してみれば、相手方が提起した本案訴訟(東京地方裁判所昭和五一年(行ウ)第三一号事件)は行政事件訴訟法第二五条第三項にいわゆる「本案について理由がないとみえる」ときに該当するものと認められるから、本件執行停止の申立はすべて理由がなく却下すべきである。

四  そうすると、原決定中第一項は相当でないからこれを取り消し、申立を却下することとし、申立費用及び抗告費用は相手方の負担として、主文のとおり決定する。

(裁判官 松永信和 小林哲郎 間中彦次)

抗告理由書

相手方の本件執行停止申立ては失当であるから却下されるべきであり、この点についての抗告人の主張は、原審における意見書において述べたところと同一であるからこれを援用するほか、次のとおり補足する。

第一原決定は、本件退去強制令書に基づく送還が執行されると、相手方は事実上本案訴訟を維持することができず、たとえ本案訴訟で勝訴しても回復できない損害を蒙ると判断している。しかしながら、右判断は、次のとおり誤つている。

一 原決定は、本件処分により回復困難な損害を蒙むるとした理由の一つとして本件退去強制令書に基づき申立人の国外への送還が執行されると、申立人は、事実上本案訴訟を維持することができなくなることをあげる。

しかしながら、原判決のいうように訴訟維持という利益が失なわれることをもつて、行訴法二五条二項に規定する「回復困難な損害」に当たるとすることは、提訴ないし訴訟係属という事実それ自体を理由として執行停止の必要性を認めようとするものにほかならず、かかる解釈が許されるならばおよそ事実上、処分取消しの訴えの提起がありさえすれば常に執行停止の効果が生じることとならざるをえない。

行訴法二五条二項にかかる原決定のこのような解釈は、処分の取消しの訴の提起によつては処分の効力、処分の執行が停止されないことを規定した行訴法二五条一項の趣旨を没却するものである。

二 また、原決定は、その理由として「……送還が執行されると、……たとえ右訴訟で勝訴の確定判決を得ても回復の困難な損害を被ることは明らかである。」としているが、右一で述べた事実上本案訴訟を維持することができないということのほか具体的にいかなる事実をもつて「回復の困難な損害」に当たるとするのか、単に「明らかである。」とするのみでは、理由としてまつたく不備である。

かりに相手方が送還されることにより本邦にとどまることができなくなること自体を指すものと解しても、不法入国者が事実上本邦に在留している利益は不法入国という違法行為によつて獲得し、引き続き密かに維持していた「利益」に過ぎず、送還されそのすべてを失つたとしても違法行為前の原状に復するというにとどまるのであるから、何ら格別の損害を蒙るとは言えないのである。

三 そもそも、本決定は、外国人の特殊な地位に全然考慮を払つていない。すなわち、外国人の入国ならびに滞在への許否は、当該国家の自由に決し得るものであり、条約等特別の取極めが存しない限り国家は外国人の入国又は在留を許可する義務を負うものでないというのが国際慣習法上の原則であり、憲法上もこれらのことが前提とされているので、外国人は入国及び在留の自由は憲法上保障されていないと最高裁(昭和三五年一一月一七日判決)が判示しているのである。したがつて、憲法上何ら在留を保障されていないこれら不法入国した外国人に対し、すべて送還を停止すべきであるという原審の決定は、本末転倒も甚しいとの譏を免れることはできない。そして原審におけるかかる論旨は、もとより国際場裡においては理論的にも、現実上も決して通用し、是認されるところではないのである。例えば、一八九二年ジユネーブにおいて国際法協会の採択した「外国人の入国許可及び退去強制に関する国際規則」第二一条は、「すべて退去強制を受ける個人は、自らが土着の者であることを主張し又は退去強制が、法律若しくは国際条約に違反すると主張するときは、政府から完全に独立して裁定を行う高等司法裁判所又は高等行政裁判所に提訴することができる。但し、提訴が行われても臨時に退去強制を行うことができる。」と規定している。右のような退去強制の本質にかんがみるとき、退去強制の実施に当つてその時期方法等について法務大臣の高度の政治的判断、応変の措置等が必要とされるのであるから裁判所によつて送還部分の停止は行われるべきではないのである。

四 原審の決定は、相手方を送還すると回復できない損害を蒙るとするが、「回復困難な損害を避けるため、緊急の必要があるとき」とは、社会通念上それを被つたときはその回復は容易でないとみられる程度のものであれば足りるであろうが、この損害はひつきよう裁判所において執行停止の許否を判断するにあたつて、停止によつて相手方の受くべき利益(損われる損害)として当該処分の不停止によつて維持される公共の福祉と比較衡量されるところのものと考えられるから、具体的事情のもとにおいて後者とにらみ合わせ、それを犠牲としてもなお救済に値する程度の損害かどうか相対的にきまる性格のものといえる(杉本良吉著行政事件訴訟法の解説八八頁参照)。

相手方は、韓国に生活の本拠があるにも拘わらず、出稼ぎ目的で本邦に不法入国し、本邦で潜かに令四条に規定する在留活動に従事していた者で、原審における意見書において詳でらかにしたように我国におけるこのような活動は令の規定する在留資格制度を紊乱するばかりか、労働者の移入を認めていない我国の基本政策に明らかに背反するもので、これらの事情は公共の福祉との関係で特に考慮されなければならないのである。今回韓国政府が送還に異存がなく、引取りに応じているのも我国のかかる事情を十分了承しているからであつて、本件送還停止が国際的、国内的に及ぼす影響を慎重に考慮して判断されなければならないのである。

第二

一 原決定は、本件退去強制令書発付処分の適法性について、疑問の余地がないと即断できず、従つて本件が「本案について理由がないとみえる場合」に当るといえない旨判示している。

しかしながら以下に述べるとおり本件裁決および退去強制令書発付処分が適法であることは明らかである。

すなわち、相手方は本邦に不法に入国し、潜かに令四条に規定する在留活動に従事していたものであるが、我国は実質的に世界第一の人口稠密国であつて外国人移民、外国人労働者の入国は原則として認められていない(疎乙第二四号証)のであり、相手方のごとく今後我国で稼働することとなる者について在留特別許可をする余地は全くない。

また相手方は、昭和五〇年五月二七日の深夜、路上を通行中の女性(昭和三四年二月一九日生)に対し、路上に引き倒した上、陰部にさわるなどの強制猥せつの行為をし、その際同上に傷害を負わせ、同年一〇月六日強制猥せつ致傷罪で徴役三年執行猶予三年の判決を受けている。このように重大な犯罪を敢行し我国の法秩序を乱す者について在留特別許可を与える必要は全くないというべきである。

相手方の家族関係についても、同人の内妻小平とも子は、相手方が前記事件により逮捕されたことが原因となつて精神に異常を来たし、同女の実家で療養中であつたが、昭和五〇年一二月頃家出をし行方不明であるということである。右家出前の同女の供述によれば、同女は相手方との関係を継続する意思は全くなく、また同女の両親も相手方との婚姻には反対している(疎乙第二一、第二二号証)。右の事情の下では相手方と小平とも子とが今後婚姻関係に入ることはあり得ないというべきである。

また小平洋子の養育について相手方が法的義務を負わないこと、仮に相手方が養育することとなつても、相手方が日本に在留しなくとも養育可能であることは原審に提出した意見書二の2記載のとおりである。

従つて、家族関係の点からみても、相手方を本邦に在留させるべき必要性は全く存しないのである。

また、送還先の韓国には相手方の父、兄弟等近親者が多く、送還により相手方の生存がおびやかされるといつた事情も存しない。

以上のとおり、いかなる観点からみても、相手方の在留を認めるべき必要性は存しないのであり、同人に対し特在許可をしなかつた本件裁決および退去強制令書発付処分が違法とされる余地は存しない。

二 のみならず、行政事件訴訟法二五条三項にいう「本案について理由がないとみえる」こととは、行政事件訴訟特例法の下において、解釈上、本案について一応理由があるとみえることを執行停止の要件としていたため、この当然のことを明文で規定したにすぎない(杉本良吉、行政事件訴訟法の解説八九頁等参照)ものなのであるが、新法ではこの規定が執行停止の消極的要件として定められたため、執行停止申請の段階で行政庁側が、係争処分の適用要件の具備を一応疎明する建前となつたのである。

そこで、特に本件のように、事前の、しかも容疑者の意見弁解を聞き、不服申立の機会を与える等厳格な手続によつて行なわれる出入国管理令に基づく収容、退去強制処分の場合には、行政庁側が処分の適法要件について主張及び一応の疎明を提出すれば、その段階では本案について理由がないとみえるときに当ると解すべきである。蓋し、行政処分は公定力を有し、即時執行することによつて行政目的を達成するものであつて、しかもその処分に至るまでの間に、訴訟手続にも比肩するような厳格な行政救済手続が与えられているのであるから、その執行停止は、私人間の紛争につき現状維持のために認められている仮処分や強制執行停止等と同視することが許されないからである。

本件において抗告人は、相手方が違法事由としてあげた各点について、違法である所以をすべて主張し且つ疎明したが、原審は疑問点を明確に指摘することもなく、疑問の余地がないと即断できないとしている。執行停止の消極的要件の認定に、斯かる厳格な態度を執らねばならぬ理由は全く見出し難いところであり、不法入国の事実に争いのないことを考慮すれば、本件退去強制令書発付処分は現段階では適法であつて、本案について理由がないとみえるときにあたるから、本件執行停止の申立は失当として却下されるべきである。

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